No.05
本人
中学生・女子
起立性調節障害/朝起きられない
「生きる力」を失っていた私だけど、本当は頑張りたかった
元気学園に来て手に入れたことは、 健康な身体や体力・学力・料理や裁縫などの生活能力、教養(美術館に行くなどによる)などさまざまな場面に及んでいます。これら手に入れたものを、何と表現すればいいのか、いい言葉が私には思いつきませんでした。
しかし、大学(看護学科)で、 「看護とは人の体を直すのではない。その人が生活しやすいように助け、趣味や楽しみを続けられるように考え、その人の生きる力(生きたい・生きることが楽しいと思う力)を引き出すことだ」という言葉を聞いたとき、「これだ!」と思いました。
元気学園で「生きる力」を手に入れたのです。
私自身不登校になった際は「これから私はどうなるんだろう」と思っていました。
家にずっといることで、体力もなくなり、ますます学校に行くことが億劫になり、学校に行かず勉強もしていなかったため、学力も周りに置いていかれていました。
会社から帰ってきた父親には毎日、「なぜ学校に行けないのか。なんでそんなに弱いんだ。学校にも行かずに、この先どうやって生きていくつもりなのか、俺に教えてくれよ」と聞かれ続けていました。父の危惧している内容は頭では理解していました。また、なぜ、私が泣くほど、父が問いただし続けるのかも分かっていました。
「もう一度、ちゃんと動き始めなくちゃいけない」そうは思っても 「今から追いつけるわけがない。
皆に、こんなことも分からないのかと思われるのはつらいし怖い。どんな顔して学校にいけばいいんだろう」
そう考えると怖くて動けませんでした。
そんな私の気持ちは、親には伝えづらいものでした。
それでも伝えようと頑張って親に言ってみても、 親には「そんなこと言っても動かなくちゃ始まらないだろ。
そうなっちゃったんだ、怖いなんて言ってもどうしようもないじゃないか。
そんなこと言っていると、もっとおいて行かれるだけだよ」と言われるばかりでした。
確かにそれは正論だとわかっていましたが、私にとってはこの「怖さ」はとても重要なことでした。
そのため親との間に、気持ちのかみ合わなさを感じていました。
私にとって、親は大事な存在であり、私の気持ちを一番わかってほしい存在でした。
そんな親に分かってもらえない。私はそんなにおかしな人間になってしまったのだろうかと悩みもしました。
毎日、私と話をするとき、私について母と話している時も、父はいつも怖い顔をしていました。
母はその話に泣き、私が朝起きないのに何時間でも怒らず付き合ってくれました。
動かないことで、お腹が空かず、あまりご飯を食べない私を、心配してくれていました。
あるとき、母は、「あなたが体や心が弱いのは、私のせいかもしれない。ごめんね」そう謝りました。
その時一番、自分が許せないとそう感じました。
父に心配をかけ、母に涙を流させ、二人に言い合いをさせてしまう。
そんな自分ならこの世にいないほうがいいのではないか、そう考える時もありました。
けれど、父も母も「自殺だけはするな。生きていてくれればいいと思ってもいる。でもこれからが、心配なんだ」そう言ってくれていました。
私の気持ちをわかってくれない両親が嫌だ。
でも一番私のことを考えてくれている両親のためにも動きたい。でも怖い。
気持ちは焦るばかりでしたが、自分では何もできず、自己嫌悪に陥る。
ずっと現実を見つめることは辛く、日中はネットなど面白いことに逃げ、夜になると現実を見つめて死にたくなる。中学1年の秋から中学2年の9月に学園に来るまでそんな毎日を過ごしていたと思います。
そんな状態を1年続けたとき、父が「元気学園という所がある。寮生活でいままでと全く違う新しいやり方の場所だよ。いやだったら入学しなくてもいい。会うだけ会いにいってみないか」そういわれました。母には「一緒に暮らせなくなったらさみしいけど、それで、あなたが辛くなくなるかもしれないから行ってみよう」そう言われました。
初めての面談で先生に会ったとき、先生は私の性格をずばりと言い当て、どうして朝起きるのが辛いのか、心臓の働きが悪いことを教えてくれました。
その時、この先生なら「親に心配をかけない私」にしてくれるのではないか、私が人生をつらいと思わない人になれるように育ててくれるのではないか」漠然とそう思いました。
学園に来る前、完全に生きる力を私はなくしていました。
ですが、学園に来たことで様々な力が身に付き、ネットやゲーム以外での人生の楽しみ・教養のあり方を知り、まさにこれから生きていく力・人生を楽しいと思える力「生きる力」を手に入れることができました。
不登校で家に引きこもっていた私には、将来のこと、学校や働いて社会の中で生きていく自分は、まったく想像できませんでした。
ですが、私は今、保健師になるという自分の将来の夢のために、毎日、笑って休まず大学に行くことができています。