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中1から8年間の不登校、引きこもり。止まっていた時間が動き出した。

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この指止まれ!
本人と父母の体験談

No.29

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本人

中学生・女子

起立性調節障害/朝起きられない

中1から8年間の不登校、引きこもり。
止まっていた時間が動き出した。

8年間の不登校引きこもり

私の体験談を読んで、少しでも読んで下さった人が元気になって欲しいと思って書きました。

はじめ元気学園の皆を見て、病気や何か悩んでいるようには見えませんでした。
過去の話を聞いても、私だけは絶対にこんなに元気にはなれない、と思っていました。
人が上手くいったという話を聞くと、私はそんなに上手くいくわけがないと思っていました。
ですが、絶対にそんな事はないと、今言えます。

元気学園に入学したばかりの頃は、食事も1口・2口しか食べれず、体重は37kgでした。
それでも自分は太っていると思っていて、痩せなくては…と思っていました。
でも今は食べることが大好きで、体重は10kg太りました。
顔色も良くなり、私は東北出身なのですが「沖縄出身みたいだね。」と言われるくらい、日焼けしました。

今は毎日笑って過ごせるようになりましたが、私は13歳の時から不登校が始まり・何年も引きこもりをしていました。
病院の薬物治療が原因で肝臓が壊れているのを知ったのは、つい8ヶ月前の元気学園の入学前検診の時でした。

学園に来るきっかけとなったのは、講演会に参加したからです。参加する事自体、私にとってとても怖い事でした。8年間、病院以外に相談する・自分の事を話すという事が出来なかった程です。

私は小学生の頃も時々学校を休んでいました。
中学校1年生の5月、本格的に不登校が始まりました。朝起きれず・体調も悪く、起きているだけでもつらかったです。
勉強にも付いていけなくなり、学校に通う事自体がイヤになりました。

誰も解決してくれない 自分が悪いんだ

病院には何度も何度も検査に行きました。病名は付かず、いつも「精神的なものでしょう。」と言われました。
ですが、自分では「私の気持ちは弱くなんかない、精神科なんて絶対に行きたくない!」と思い、診断名が付かないことに不満を持っていました。だから、病院にも行かず閉じこもっていた時期も長かったです。

ですが、自分ではどうにも出来なくなり、結局カウンセリングを受け始めました。
良くなるどころか、どんどん弱っていきました。体調不良がひどくなっていたので、薬物治療も始まりました。
でも、何も変わらず「もう治らない、ずっとこのままなんだ…」と思いました。

周りから見たら怠けているようにしか見えないでしょうし、私自身もそう思うようになり、人目がとても怖くなりました。

頑張らなきゃいけないのはわかっているけれど、出来ないし・つらい。
皆は出来るのに…。私は駄目なんだ、おかしいんだ。自分を責めてばかりいました。
いくら頑張っても、自分の頑張りなんて人から見たらちっぽけなもので、わかってもらえないと思っていました。人にまで自分を否定されるのが怖くて、やはり病院以外には相談出来ませんでした。

体調の次に不安だったのが勉強です。
小学校を卒業してから、勉強らしいことはしていません。自分でやろうとしてもわからなかったし、何より続きませんでした。私でも勉強出来る所を…と相談すると、「そんなに勉強にこだわらなくて良いじゃない。それより、他にやりたいことはないの?」と言われるだけでした。
体調も「いずれ良くなるよ。」くらいで、どうしたらいいのか・困っている事がどうしたら無くなるのかなんて、教えてもらえませんでした。本を読んで、カウンセリングとは「こうしたらいいよ。」とは教えてもらえない、そういう所だと知っても、やはり他に頼るところが無く、通い続けました。

焦らなくていいと言っても……時間だけが過ぎて

8年もそんな生活を続けました。
このままなら生きている意味なんて無いと思いました。
どうしようもなくなりました。
自分の事を人に話すのは本当に恐ろしい事でしたが、これで駄目だったら死ぬしか残っていないのだから…。
最後にもう少しだけ、頑張ってみようと思いました。

勇気を出して、不登校や引きこもりの相談所へ行きました。
相談所で、「治るためならどこへ行ってでも頑張ります。」と言うと、「どこへでもなんてねぇ、そんなに焦らなくてもいいじゃないか。」と言われました。
「8年も何も変わらない生活をしているのに、あせらないでなんて、どうしてそんなことが言えるの…?きれい事だけでは、もうどうにもならないのに。」と思いました。ここでも、何も変わらないと思いました。

結局、自分で探した「自分に合うかもしれない。」と思った、たった2つのフリースクール。
1つは寮生活で勉強中心の所。もう1つが元気学園でした。
でも私は、自分でも病気なんかじゃない・わがままなんだと思うようになっていたので、勉強中心のところに見学に行き、ここにしようとほぼ決めていました。
親にも「体調なんてやる気の問題だから、いざとなればやるようになるだろう。」と言われていました。

ここで頑張ってみよう

でもやはり、元気学園の事が気がかりでした。
その時、ちょうど講演会があり、当日まで悩んでいましたが参加する事にしました。
参加して、本当に良かったです。そこで個人面談を受け、初めて「治るに決まっているだろう。」と言って下さる先生に出会いました。こんなに断言してもらえたのは初めてで、今までの所とは違うと私にもわかりました。
その日だけで、私がひどくこだわっていた「お化粧をしないと外へ出れない」というのが直りました。
家に居る時はひどく神経質で、出かけるとなると何時間も準備に時間がかかりました。人目がとても怖かったのです。でもそれが変わりました。体調不良や勉強の事、今まで悩んでいた事の答えが見つかるのではないかという希望が見え、ここで頑張ってみようと思いました。
入学する事を地元の病院の先生は反対しましたが、「行きます。」と言いました。

動き出した時間

学園での生活は、本当に今までと違うものでした。
今までは、親には「気の持ちようなんだから」と。病院では「無理をしてはいけないよ、ゆっくり考えなさい。」と言われていました。初めは病院で言われた言葉に安心し、甘えて何年も経ってしまいました。そして後になってそれが 、私の時間が止まってしまった最大の理由だったと気が付きました。

学園に来て先生に初めて気づかせてもらったこと。それは、入学した翌日の事でした。
私は調子が悪く、皆が掃除中、椅子に座っていました。今でもその時の事をはっきりと覚えています。
「何をしにここに来ているんだ、立ちなさい。」と言われました。
正直、初めは驚いて先生の言う通りにしました。でも、それで私は治ったのです。
この時はまだわかりませんでしたが、1週間後、先生の言った意味がわかりました。
体力を付けるには、「自分で出来る事は自分でする事が大切なんだ。」ということが。
そして、自分ではできないと思い込んでいるだけで、実はできるのだとも。

その後、簡単にできると思っていたことができないということにも気づかされました。
入学して1週間、昼夜逆転・睡眠時間12時間以上の生活が嘘のように、毎日起きていられるし、食事も全部食べられるようになりました。

自分が変わった日

とても嬉しくて、少し自信が付いた頃でした。
その頃学園のイベントが有り、その会場で私は酸欠状態になってしまいました。涙があふれて止まりませんでした。
今考えると、なんて諦めが早いんだ!と自分でもあきれてしまうのですが、私は「やっぱり頑張っても駄目なんだ。治らない、駄目なんだ…。」と思ったのです。 頑張った1週間が何の意味も無かったと思い、やる気も自信も失いました。
夜、先生がわざわざ様子を見に来て下さいました。しかられるのかと思ったら、「1週間よく頑張ったなぁ。」とほめてくれました。嬉しかったけれど、これからの事がまた不安になってたまりませんでした。 「どうしよう…、どうしよう…。」と頭がいっぱいでした。
そして翌日、それまでの自分と変わる大きなきっかけとなる出来事がありました。
朝、それ程調子が悪い訳でも無いのに、昨日の気持ちを引きずったまま私は暗い顔をしていました。
先生に「おはようございます。」とあいさつをすると、「人に心配させようとしてやっているんじゃないか。もう体調は治っているはずだよ。」と言いました。その通りだと思いました。頑張ろうと思えば頑張れる事なのに、今までやらなかったのです。先生は私の体調をよくわかった上で、「自分に出来る事は自分でするんだ。」と教えてくれたのです。
1週間前「立ちなさい。」と言われた時、そのまま座っていたら何も変わらないままでした。座っていたから、寝ていたから長引かせていたのです。言い訳ばかりしていたから時間が止まっていたのです。
その事にやっと気が付きました。「できるんだよ。」という、応援の言葉だったのだと今ならわかります。

生まれてきてよかった

その後また1週間頑張りました。それが私の本当の自信となりました。何故なら、今まで1度駄目だと思ったら、次に動けるようになるまで何日も何週間もかかったからです。挫折する度に自分を責めて自信を失っていました。どうせまた上手く行かない、と自分でも自分が信用出来なくなっていました。

それが、翌日からまた頑張れました。今まで有り得ませんでした。
8年間、たった2週間頑張り続けるという事。それが本当に出来なかったのです。
こんなに継続出来たのは初めてでした。学園の皆のお陰だ…と思いました。

そして学園に来て3週間。私の誕生日がやって来ました。誕生日は1年の中で1番嫌いな日でした。
不登校になった中学1年生の頃から、誕生日が近付くとプレッシャーに押しつぶされそうでした。
「おめでとう。」と言われても、「自分は本当は生まれてなんかこない方がよかったのに。」そんなことばかり考えていました。
今日だけは笑えないかも…、と思いました。朝1番に、「おめでとう。」とわざわざ言いに来てくれた友達がいました。そして会う人会う人に祝ってもらいました。
自分でも不思議なくらい、すっと不安がふっ飛んで「嬉しい、ありがとう。」と思えるようになりました。
「生まれて良かった、幸せだなぁ。嬉しい誕生日なんて、何年ぶりかなぁ。」
嬉し涙が止まりませんでした。もう、死にたいなんて、思わなくなっていました。

この頃には体調も大分良くなりました。
薬物治療で壊れていた肝臓も、3ヶ月で正常値に戻りました。

現実に追いつくために

勉強は小学4年生から始めました。今は中学生と一緒に勉強しています。
でも私はわからない事だらけで、中学生より出来ません。
でも、皆がやっていた時にやらなかったのは私です。出来ないからと言っていつまでもやらないのなら、いつまで経っても出来ないのだから、やるしかありません。今しか、直せないのです。今までは1人でしたから、つまずいたらずっとつまずいたままでしたが、今は助けてくれる人が出来ました。決して諦めないで頑張ろうと思います。

私に1番必要な事は、年齢相応ということです。
8年も家に閉じこもっていたから、知らない事が多すぎます。
誰かに言われて「そうだったのかぁ。」と初めて気が付く事ばかりです。
本当にあのまま家にいたらどうなっていたか。

家族から

お陰様で、家も変わりました。特に、私と一心同体のようだった母。
私が学校にも仕事にも行かず家で過ごしていたので、母は仕事を辞めました。
母は鬱病と診断され、私と同様にカウンセリングと薬物治療をしていました。

その母が、私が元気学園に来て3ヶ月。
「働き始めました。」という手紙が届きました。
病院通いも止めたそうです。
私だけでなく、家族も救われたと思いました。

「やらなくていい」では何もできないまま

学園に来て1番嬉しい事は、「やらなくていいよ。」と言われない事です。
何事も、遅くても下手でもやらせてもらえます。

例えば手芸の時間、同じ物を1人2個作った時の事です。
皆が完成した中、私は遅くてまだ1つしか出来ていませんでした。
あまりに遅いので、「もういいよ。」と言われるかと思いながら、「私、まだ1つしか出来ていないんです。」と言うと、「そうなの?じゃあ頑張って!」と言ってもらえました。
この言葉がどれだけ嬉しい事か。
昔は「やらなくていいよ。」の扱いに甘えていました。
でも、それだけでは何の成長も無い事が分かりました。
普通だったら、やり直しをさせてもらえるような所はありません。
私が出来ないと言っている内に、皆先へ先へと行ってしまいます。
そして出来ない事が増えていき、嫌なことも増えていってしまいます。

それで止まっていた8年間でした。
今ここで、やり直せるよう・追い付けるよう頑張っていこうと思います。

不登校 いつの間にか泣かなくなった

何をやっても駄目。頑張る事なんて損だと思っていました。
でも今は、出来なくても努力している内に、1つでも2つでも出来る事が増えるという事がわかりました。8ヶ月前の自分との違いと成長を心の奥底から感じています。
今日の努力の結果が出る日が必ず来る。8ヶ月前を振り返るとそうでした。

よく先輩が話してくれた、「ここに来たら、今ものすごく頑張らないといけない事が、だんだん自然に出来るようになってくるよ。そしたらまた別の新しい事にチャレンジ出来るよ。そうやって出来る事が増えていくよ。」この言葉に何度も励まされました。
初めは起きているだけでもつらかったけれど、体力が付いて沢山の事に挑戦出来るようになりました。
出来る事が増えたから・やれば出来るとわかったから、嫌な事も無くなりました。
だから毎日楽しいです。

学園に来たばかりの頃は、昔の事を思い出すと悲しくなって泣いてばかりいましたが、いつの間にか泣かなくなりました。もう元のような生活に戻ることはない、と思えるようになったからだと思います。

心配をかけた家族。決して私の気持ちなんてわかってはくれないと思っていましたが、私が家族の気持ちをわかっていませんでした。何年も、迷惑をかけたことは消せませんが、私が出来る最大の恩返しは、私が幸せになる事・自分の力で生きていけることだと思っています。

今私は、とても幸せです。

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